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五周年記念SS   「ありがとう」と僕は笑った   2

「もうお終いなの?根性がないなぁ……」
魔術師、フィーリ=メ=ルーンは今しがた倒れた最後の一人の腹部に杖の先端を突き立て、溜め息をついた。足元からは叫びにも似た呻き声が聞こえたが、どうせ意識を手放しただけであろう。結局、どいつも同じだ。フィーリの足元に倒れているのはこの男のみではない。屍累々と表現していい程の烏合の衆が皆一様に伸びている。舞踏会にはフィーリをエスコートし、楽しませてくれる王子様はいなかった。まぁそう簡単に王子様なんていないことぐらい理解しているがそれにしても、である。きょろきょろと辺りを見回すと、少し離れたところでロジェはまだ三人の男たちと対峙していた。苦戦している様子はなかったが、優しいロジェの事だ。フィーリと違い、手加減をして相手をしているのだろう。
面白くないなぁ。
杖にもたれ掛りながらフィーリは思い、自らの感情に首を傾げた。普段なら「運動が出来て楽しかった」と心躍ったまま暫くは意味もなく楽しいはずなのに真っ先に「面白くない」とはどういう事か。フィーリが疑問に首を捻っていると、どさ、と聞きなれた音が響いた。ロジェが最後の一人を地に沈めたのだった。
「ロー君、お疲れ様ー♪」
直ぐにフィーリが声を上げて手を振ると、ロジェはフィーリの姿に気づいたようだった。
「怪我は……なさそうだな」
近寄りながらフィーリの安否を尋ねるロジェもどうやら無傷のようだ。当り前だ。そう簡単にロジェがやられる筈がない。本人は「買い被り過ぎだ」といつも言うが、フィーリからしてみればロジェと云う男は寧ろ全てにおいて出来過ぎている存在だ。
ロジェ=ミラ=クレセント、魔力を持たない魔剣士。偶然が巡り合っただけで存在出来る代物ではない。
だから近づいた。初めは単なる興味本位だった。
「フィーリ?」
名を呼ばれ、フィーリは我に返った。見上げると額に皺を寄せたロジェがじっと見ている。
「大丈夫だよ。むしろ踊り足りない位だよ。ロー君さえよければ一曲踊りたいところなんだけれど?」
「…………一人で踊っていろ」
フィーリはいつものようににっこりと微笑んでロジェを手招く。呆れたように溜め息をついたロジェを引き寄せて、抱きつくように左腕に自身の腕をまわした。恒例となった定位置の占領にロジェは抵抗することなく、黙ったまま片腕を差し出す。
「えへへ、ロー君は優しいなぁ♪」
わざと声に出して褒めると、鋭い眼差しでロジェに睨みつけられた。一見するだけならば畏怖してしまいそうな表情だが、長い付き合いで其れは照れ隠しの表情だと気付いた。夜空の下では分からないが、うっすらとロジェの耳が紅く染まっているであろう事を想像し、フィーリは可笑しくなって「ふふふ」と声を上げて微笑んだ。突然笑い出したフィーリにロジェは眉を顰めたが、気にしないことにしたのか。「兎も角」と話を切り出した。
「これからどうする」
「うーん、どうしようねぇ……」
先刻までと打って変わってしんと静まり返った街中でフィーリとロジェは互いに問うた。恐らくこの街で意識が在るのはフィーリとロジェの二人だけだろう。襲いかかってきた街の人々は老若男女問わず、地に沈めた。もしまだ人が残っているならば企みに加担していない人だが、そんな良識人を探している暇はない。気絶した人々が意識を取り戻す前に街を出るべきだと考えるのが普通だ。しかし、一週間ぶりの街である。次の街までどれ位の距離があるか分からないため、出来ることなら尽きそうな蓄えを補充しておきたい。補充すると言っても人はいない。詰るところ所謂盗みと同様の事をしなければいけなくなるが、堅物のロジェがそんなことを許すはずもない。フィーリはぐるぐると思考を回転させるも、ロジェも納得しそうな良い案は浮かばなかった。
意見を仰ごうと眉間に皺寄せたロジェを見上げた時、フィーリは空に目を奪われた。
ロジェの横顔の先。真っ青なクロスの上に一枚の金貨が浮かぶ様に、澄んだ天鵞絨の空で煌々と輝く満月。
意図せず思わず、言葉が漏れた。
「……ねぇ、ロー君。今夜は月が綺麗だね」
いつも通りの何一つ変わらない見慣れた夜空だったのかもしれない。だが、フィーリの目には普段の空とは思えない程、幻想的な風景に見えた。言葉にできない感動と同時に、見覚えある映像が現実と重なり見えた、気がした。まばたきと共に直ぐに虚像は掻き消されたが、心には言い表せないわだかまりが残った。
「……こんなときになんだ」
見下ろしたロジェの表情は暗くて見えない。だが響く低い声音には案じと呆れが混じっている。
「どうしてだろう。なんだか言わなきゃいけないと思ったんだけど……」
どうしてなのかはフィーリにも分からなかった。溢れてきて口から洩れたというのが正しい。自身でも理由が分からずに唸ると、訝しむ様に首を傾げたロジェと目があった。真っ直ぐフィーリを見つめる黒曜の瞳は声こそ発しないものの、確かに「大丈夫か」と問いていた。「大丈夫だよ」とフィーリは笑いながら明るく努め返すものの、直ぐに二人の間に静寂が訪れる。何を話せばよいのか。繋ぐ言葉が見つからなかった。何処か気まずく居心地の悪い空気を破ったのはロジェだった。
「……前にもこういう夜があったな。そういえば」
独りごとだったのか、ロジェを見るとじっと目を閉じていた。月明かりの下見上げたロジェの顔はなんだか何処か穏やかで微笑んでいるかのように見える。眉間に皺が寄っていないからだろうか。
「前にも?」
あったような、なかったような。思い出せずにフィーリは聞き返す。
「自我を失った街……だったか。街自体には歓迎されたが、深夜に襲撃されただろうが」
「あ……!」
ルーズ・セルフ。
其れはフィーリとロジェが旅を初めてから間もなく寄った街名だった。またフィーリにとっては旅中で初めて召喚魔術を用いた土地である。真偽の定理が歪んでしまった国を正すためとはいえ、使用しないよう自制していた大魔術の封を破った。結果として、後日長年追跡を煙に撒いていた“要の国”の魔術集団に発見され、ロジェに隠していた自身の秘密の一部がばれてしまう事になったが、それはまた別の話である。
今思えば随分後先を考えない解決方法だったな、とフィーリは冷静に過去を振り返った。
「あの夜の月はよく覚えている」
「どうして?」
騒動があったからか、とフィーリが尋ねるとロジェはゆっくり首を横に振った。苦笑するように、呆れたように、ロジェの表情が揺れる。空に瞬く遥か過去の輝きを見つめながら、剣士は淡々と答えた。
「俺が初めて死を覚悟した夜だ」
何故、と再び問おうとしてフィーリは口を噤んだ。ロジェに死を覚悟させた原因はフィーリだからである。あの夜、フィーリは魔術の使用に失敗した。正確に述べるならば魔術により反動を考えずに使ったため、一定範囲内の建物と地盤を全て倒壊させたのである。フィーリとロジェも例外なく巻き込まれ、足元に空いた空虚から空に放り出された。巻き上げられた砂塵、巨大な煉瓦の塊、砕けた木材。建物を構成していた全てが瓦礫と化し降り注ぐ様をフィーリは見ていた。確かあの夜も巨大な満月が僕らを見下ろしていた。
落ち行く中で自身を引き寄せた腕。瓦礫の直撃から庇い崩れ落ちた男の背中。虚しく響いた叫び声。
「思い出したよ。ロー君が僕を初めて庇ってくれた場所だった」
あの日から、いや、本当はもっと前からかもしれない。フィーリはずっとロジェに守られている。
僕は守られるべき存在なんかではないのに。僕はロー君と違って酷い奴なのに。
「本当に昔からロー君は優しいよね」
ロジェは黙ったまま何も言わなかった。肯定も否定もせず、視線をフィーリへ向けただけだった。普段通りの無表情だ。フィーリは静かに微笑み、抱きしめていたロジェの腕を離した。背中に背負う様に持っていた自分の身の丈程ある杖を取り出し、器用にくるくると回しながら、早足でロジェの前を歩く。くるりと振りかえった。「ねぇ、ロー君」とフィーリは旅の相方を呼んだ。
「……僕はロー君の足手まといになってない?」
突然の問いにロジェは驚いたように目を見張ったようだったが、直ぐにすっと目を細めた。表情とは裏腹に淡々とした声で今度はロジェが問う。
「何が言いたい」
「もう僕の前でロー君が傷つくのは嫌だなぁと思ったんだ」
あはは、とフィーリは声を上げて笑った。突然何故こんな言葉が浮かんだのか分からなかった。何がおかしいのかも分からなかった。ただ笑わなければと思ったのだ。「それだけだよ」と付け足すように言う。
「変だよね」
自問するように呟いたフィーリは自分が真顔なのに気付き、直ぐに笑顔を浮かべる。
「…………俺は、」
「ロー君、あのね!」
ロジェが何かを発そうとするのを遮るようにフィーリは声を張り上げた。ロジェに近づく。フィーリは微笑みを崩さないまま、ロジェの真横に杖を突き刺した。僅かにロジェの髪を掠めた杖は剣士の背後に襲いかかろうとしていた男の顔面を容赦なく殴打した。男は吹き飛ばされ人々の山に転がると動かなくなった。
険しい表情のロジェに極上の笑顔で微笑み、決まり切った定型文を吐いた。
「僕はロー君が大好きだよ。だから、」
だから、と続けようとしてフィーリはふと言葉を止めた。
だから何だと云うのだろうか。
僕は一体なんと告げようとした。
「……話は後だ」
ロジェがカチン、と小太刀を抜く音で思考から覚める。気が付くと周りにはゆらりゆらりと影が蠢いていた。フィーリとロジェを取り囲むように、判別できるだけでもその数二十数名。手慣れているのか、奴らには先ほどの人々と違い気配を消しているようだった。
「まだ残党が残っていたか」
ロジェはそう言いながら黒太刀を鞘から抜こうとした。やれやれ、と呟きながらも其の様子は楽しそう、と形容するのが一番近い気がする。確かに先程の連中は数のみであまり手ごたえはなかったかもしれない。けれど今周りを囲んでいる奴らは本業に似た雰囲気を持っている。
『もしも』はあり得ないと分かっていても、フィーリはロジェを制していた。
「お願い。ロー君は此処で休んでいて」
「断る」
即答。一歩も引く気が無いことぐらい見なくても分かる。フィーリは苦笑すると、魔術師として呟いた。
「“さぁ世界、僕が命じるよ。この者に鳥籠に”」
「っっ!!」
フィーリがそう告げると次の瞬間、大地が揺れロジェの周りに金属の柱が生えた。人間の腕程の無数の柱は天辺で交わりアーチ状の檻となった。まるで鳥籠。その出来にフィーリは満足そうに笑みを深めた。
「フィーリ!ふざけるな!!」
珍しく怒気をはらんだ声で叫ぶロジェは捕えられた動物の様に柱に手を握り揺らす。見ていて面白い光景だとは思うが長く干渉することを周りは許してくれないだろう。事実、隠しきれない殺気は徐々にフィーリとの距離を狭めている。
「時には休息も必要だって♪……ごめんね。僕がやりたいんだ」
フィーリはロジェに背を向ける。ロジェの抗議はまだ続いているが、フィーリは聞かなかったことにした。きっと後でこってり怒られるだろう。だがそれで良いのだ。鳥籠を庇うように立つ。先刻よりも人数が増えている気がする。卑下た笑いが聞こえる気もするが、まぁいい。フィーリはぐるりと周囲を見渡し、まるで舞踏会でダンスに誘われた乙女の様に微笑んだ。
「おいで。僕と楽しく踊ろうよ」

by vrougev | 2010-08-05 01:03 | キセツモノ