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2011エイプリルフール   君が為に出来る事は

「ねぇ、ロー君。君は今日、幾つ嘘をついた?」
その日は昼の朗らかな陽気とは一転し、まだ寒気が身に堪える夜だったと覚えている。
煌々と遠く瞬く星を窓から望みながら、ロジェは明日付けで締切の書類を片付けていた。
向かい側には同様に大量の書類を積まれ埋もれ、ようやく顔が見えたばかりの君王が座っている。
先日正式に要の国の王位を継ぎ、新たな国王となった男は書類の束と束の間から「やっと顔が見えた」と無邪気に笑っていた。
「何のこと……ですか」
軽い口調に思わず嘗ての調子で相槌を打ってしまったロジェは慌てて語尾を濁すように敬語を使った。
傍にいることに変わりはないが今や立場は王と部下。
昔のように砕けた口調で軽々しくしてはいけないと分かっては居ても未だに慣れずにいる。これでは周りに示しがつかないというのに。
言動不審になったロジェをくすくすと笑いながら「いつものように、でいいよ」と君王、いや、フィーリは甘えたような声音で囁いた。
「二人っきりの時ぐらい唯のフィーリでいさせてよ。……ねぇ、ロー君」
「じゃあ、その止まった筆を動かせ。手を動かさなければ仕事は終わらないぞ」
「相変わらず手厳しいなぁ。まぁ、それでこそ僕のロー君だけどさ」
ぴしゃりと言い放ったロジェにフィーリの苦笑が聞こえた。
それから暫くはさらさらとペンが紙の上を走る音だけが部屋に響き渡った。
お互い一言も言葉を交わさず淡々と仕事をこなしていく。集中するとフィーリの仕事速度は速いもので、みるみるうちに机上から溢れんばかりに盛られていた書類は残りひと山までになっていった。
ロジェが話の続きを切り出したのは書類が残り数枚、もうあと数分で日付の変わる時である。
「…………で、なんだって」
その問いに「ああ」と顔を上げたフィーリは傍にあった暦をペンでぺしぺしと叩いた。
「今日はエイプリルフールなんだよ!」
示された暦を見ると「四月一日」と書かれた月初めの欄に紅い花丸がでかでかと描かれていた。
ロジェにとっては内容すら記憶から忘れ去られる程度のものであったのだが、どうやらフィーリにとっては一大イベントだったらしい。
「今日だけは嘘をついていい日!……だ、なーんて言うけれども、僕の周りでは誰も嘘をついてくれなかったんだ。イベントも何もあったものじゃないさ。面白くないよ」
肩を竦め視線を伏せたフィーリは境界が曖昧な寂しげな顔をした。
意のままにいかずふてくされる子供のように、けれども何処かで全てを諦めている大人のように。
ロジェは今日一日のフィーリの予定を指折り思い出していた。
夜も明けぬ早朝から他国の宰相との会談が二件、遅い朝食の後に視察訪問、軽食をつまんだ後に謁見が続けざまにあり、会議が挟まれ晩餐を取り、現在に至る。
確かに、嘘をつける場はない。それどころか振り返ってみれば、息つく暇もないハードスケジュールだ。
「だからさ、僕の代わりにロー君はたくさん嘘を付いたかな、と思って!」
ロジェを見る紅茶色の瞳は返答を期待してか爛々と輝いている。この男は何を勘違いしているんだか。
「今日一日、常に同行していた俺に付く暇があると思うか」
一瞬だけきょとんとしたフィーリだったが「それもそうだったね」と笑った。
「でも今日は忙しかったから、仕方ないよね」
再び書類に目を通し始めたフィーリだったが聞こえるか聞こえないかの声でぽつりと呟いた。
「…………来年はもっと楽しめるといいなぁ」
直ぐに消えた言葉は紛れもなくフィーリの本音だった。
何時も無理矢理に笑うその横顔がとても寂しそうで、ロジェは考える前に口を開いていた。
「……それが終わったらケーキを焼こう」
「ホント!?」
「嘘だ」
間髪を容れずにロジェは続ける。
「明日ぐらいは休暇を取って出掛けるのもいい。久々に城下に下る許可を取ろう」
「……ロー君?」
首を傾げ訝しむフィーリには気付かない振りをした。最早ロジェ自身も何が言いたいのか分からない。
「女装もするといい。そうだな、昔気にいって着ていた春らしい薄紅のワンピースなんかどうだ」
「ロー君!!」
叫ばれて、目を見開いているフィーリを見て、今度はロジェが戸惑う番だった。
「…………悪い、嘘を付くのは苦手だ。何を言えばお前が笑うのかが分からないんだ」
もう何年も一緒にいるのにこのザマだ。バツが悪くて、とてもじゃないが目など合わせられない。
フィーリはというと、安堵したかのような短い吐息の後、ふふっと堪えきれなくなった小さな笑みを含んだ声音をあげた。次第に其れは大きくなり普段通りのフィーリの笑いとなった。
「あはは、びっくりしたや。ロー君が壊れちゃったかと思った。……僕の為だけに嘘を考えてくれたの?」
「……何も聞くな」
今更になって己のやったことに対する羞恥がこみ上げてきた。いや、恥ずかしさよりも愚かさが先に立つ。ロジェは今すぐにでも消え去りたい気持ちでいっぱいだった。
そんなロジェの心情を見通してか、笑いを潜めたフィーリは真面目な声で「ロジェ」と呼んだ。
「ひとつだけ付いてほしい嘘があるんだ」
フィーリはそう言うと椅子から身体を起こし、背筋を伸ばし凛と立った。つられてロジェも立ち上がる。
すっと威厳ある動作でロジェに手を差し出し、毅然とした口調で『嘘』を述べた。
「片時も僕の傍を離れません、と。例え其れが……死せる時であっても」
その答えに言葉は要らなかった。虚言に返す言葉をロジェは持ち合わせてはいないのだから。
ロジェは黙って、フィーリの前に跪いた。城の大時計が特別な日の終わりを告げる。
明日を知らせる荘厳な鐘の音を聞きながら、ロジェはその手を取った。
「誓おう」


之が俺に出来る唯一つの事なら、幾らだって。

by vrougev | 2011-04-01 23:59 | キセツモノ