人気ブログランキング | 話題のタグを見る

葡萄酒の滴る音   2

ある街の洋菓子店、ブルーム。
父が「新しい仲間だぞ」と皆に紹介したのは一人のパティシエと一人のウェイトレスであった。黒髪に鋭い同色の目を持った青年と長い髪をリボンで纏め上げている女。
「ロジェだ。悪いが、一週間ばかりお世話になる」
「フィーリですっ♪よろしくお願いしまーすっ♪」
彼らは頭を下げる。新人の歓迎会。そうこんなのはいつもやっている事ではないか。
だがこの時キュレは身に覚えのない症状に戸惑っていた。凝視できない。
「・・・と言う仕事をやってもらう。大役だからな。・・・・おい、キュレ」
「あ、はい」
父から呼ばれキュレは我に返った。気がつけばもう回りに従業員は誰も居ない。居るのは父と自分と、新入りの二人。一人は無表情に、一人はにこにこと満面の笑みを浮かべて。
「先に紹介しておこう。この子は私の娘、キュレだ。この店の副店長として働いてもらっている。分からない事があったらこの子に聞くようにな」
「へー、副店長さんかー♪若いのに優秀なんだねっ♪」
よろしくー♪とフィーリと名乗った女性は笑う。まだ少女の名残を残した笑みを向ける。
「キュレさんば僕と同い年ぐらい?もっと下かなぁ?」
じっとキュレの顔を見つめながらそんな事を呟くフィーリ。そんな彼女に横の男は諌める様に言うのだ。黒い髪に黒い瞳。端整な顔で彼はため息をついた。
「フィーリ、女性に年を尋ねるのは止めろ。・・すまない。常識がない奴なんだ」
「あ・・・いえ・・」
向き直り代わりに謝られるもどう対応していいかがキュレには分からなかった。ただ、今まで上げられていた顔が上げられない。ただ俯いたまま更に頭を下げる。ロジェと言う名の男の目を真っ直ぐ見れないのだ。何故かなんて彼女が聞きたいぐらいだ。そんな彼女の心を知らず、父は勝手に物事を進めていく。
「従業員寄宿舎に二部屋空きがあっただろう。キュレ彼らを案内してやってくれ」
分かりました、と答えようとした。だが割って入るようにロジェは低い声を響かせる。
「一部屋で大丈夫だ」
「え・・でも、部屋は狭いし、ベッドも一つしかありませんよ?」
寄宿舎は一室一室が一人用個室になっている。生活最低限の水周りとベッドぐらいしかない簡素な住まい。それを二人で使うとなるとかなりきついものがある。
「一つしかないなら俺は床で寝ればいい、何か起こるよりはマシだ」
何が起こるんだろう。キュレは気になったが聞かない事にした。
「えー、ロー君一緒に寝ようよぉー」
「誰が寝るか」
「人肌のほうが温かいよ?」
満面の笑顔を見せるフィーリにため息をつくロジェ。そのため息は少し笑っているようにも見えた。微笑を押し殺すための笑みなのか。本人は気が付いていないだろうけれどその顔にはきちんとした表情があった。キュレは思う。
どうしてだろう。上手く息が吸い込めない。冬なのにあつ・・い?

「あの・・お二人は恋人同士なんですか?」
おずおずとそうキュレは尋ねたのは二人を寄宿舎へと案内する途中のことである。自分でも何故こんな事を聞くのか分からなかったが、それが興味本位での質問ではないことだということは言えた。そんな馬鹿な事をキュレはしない。
瞬時にその答えは返ってくる。
「断じて違う」
夜闇のような鋭い瞳で咎める視線を浴び、キュレは思わず一歩下がってしまう。ざぁ、と血の気が引いた気がした。
「ご、めんなさい。あまりにも仲が良さそうだったから・・」
「キューちゃんは悪くないよぉっ♪年頃の女の子だもん。そういう事にも興味あるよね♪」
そう言って微笑むフィーリはロジェの腕にべったりと張り付いていた。抱きついている、のほうが正しいか。この状況を見て付き合っていないだなんて説得力は全くない。
でも、どこか。その言葉に嬉しかったのは秘密である。

「・・ロー君。気づいてた?」
「何を」
案内された部屋は確かに狭かった。ベッド一つに僅かな床。ランプ一つで十分明るくなるベッドの上で荷を開きながらフィーリは隣に腰掛けているロジェに尋ねた。
「・・気づいていないの?」
「だから何がだ」
本気で気が付いていないんだ、とフィーリは驚いたように目を丸くしたが次には微笑んだ。ロジェはその微笑を見ていなかったが、それは小悪魔のような口先だけの微笑み。
「ロー君は僕のだもんねー♪」
「意味が分からないぞ」
フィーリは囁くように尋ねる。小さな声だけれどもはっきりと。甘く、強い声音。
「ねぇ、何で僕を女だって偽ったの?どうして狭いのに同じ部屋にしたの?」
「男二人より男女一人ずつのほうが待遇はいいだろう。女、と聞いただけで掌を返すような奴なんて山ほどいる。それと部屋はばれる可能性を極力減らすためだ」
「ロー君狡賢いねー♪」
楽しそうにフィーリはからからと笑った。鈍感なのに。口には出さねどフィーリは思う。
「吹雪の中凍え死ぬよりはいい。それに・・」
「それに?」
フィーリが尋ね返すとロジェはぴたりと動きを止めた。そして暫く何かを考えるようにしていたが、それを口に出す事はなかった。ふっと吐息を吐き出すと、ひらひらと手を振り近づいてきたフィーリを払う。
「・・・なんでもない。忘れてくれ」
「もうっ♪ロー君ってば可愛いから好きー♪」
「はいはい」
そう言っていつものようにロジェの背に抱きつくフィーリ。それを払うロジェもいつも。
だけれども、その様子をいつもでない人間が聞いている事を彼ら二人は気がつかなかった。
影は急ぎ足で去っていく。全てを拒絶するかのように。

by vrougev | 2007-01-28 16:39 | キセツモノ