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葡萄酒の滴る音   3

新入りは可愛がられるか嫌われるかの両極端である。ロジェの場合は後者であった。
「おい、新入りー。終わったらこれ洗っておけー」
「果物切るのも忘れずになー」
「・・・・あぁ」
今真っ先にやる事は目の前にある生クリームを泡立てる事。それが終わったら皿洗いをし、果物を切り分ける。何のことは無い簡単な仕事ばかりだが、彼らは仕事をロジェに押し付ける事で自分達のほうが位が高いという事を見せ付けたいらしい。それ以外にもロジェの容姿が女性店員達の間で話題になっている事が気に喰わないという理由もあるのだがロジェ本人は知らない事である。
馬鹿みたいだな。慣れた手つきでロジェは生クリームを作りながら思う。純白の液体は見る見るうちにふわふわの固体へと変化していった。もう少しで角が立つ位にまでなるだろうか。苦労の素振りすら見せないロジェに背中から品のない舌打ちが聞こえる。隠す気もない悪意。ふぅ、とロジェは陰に隠れてため息をついた。低レベルな奴らだ。
ふと何気なく外に面した窓ガラスを覗く。
「いらっしゃいませーっ♪」
数人のウェイトレスと共に同様の服に身を包んだフィーリが挨拶する声が聞こえた。
彼のほうは性別を偽って女性ウェイトレスとして働いているが同僚受けは良かったようだ。「皆優しいのー♪」と嬉しそうに昨日話していた。皆、いい人そうでなによりである。
どうやらお客がやってきたらしい。此処からでは見えないがどうやら女性のようである。此処の店主の娘、キュレが一生懸命接客している姿が見える。そういえば昨晩フィーリに「どう思う?」と聞かれた。何がどうで何がどうでないのかが分からないのだが、普通に親思いの娘だとは思う。あの位の年代だと親と一緒にいるのも嫌だと一人出て行くものも多いと聞いた。ロジェ自身の経験はないが、それが元で旅人となった人間も少なくはないという。しっかりとしているからこそ店で働き、副店長などと言う地位にもついている。
何処かの誰かにも見習わせたいものだ。何処の魔術師とは言わないがへらへらとした生活性の無さを少しは直して欲しい。
こちらの視線に気がついたのかキュレは顔を上げて振り返る。目が合った。一瞬目をぱちくりとさせたキュレだったが急に脱兎のように何処かへと走っていった。
「おい、ロジェ。手が止まってるぞ」
厭味な声。硝子越しに見える顔はにやけている。何を考えているんだか。
しかし、一体なんだったのだろう。そんな事を思いながらロジェは再び作業に戻る。
オーナーがある事をロジェに告げるその時まで、彼の忙しくされた退屈な時間は続いた。

「お疲れ様でーすっ♪」
「お疲れー」
「おつですー」
仕事終わりは早い。茜が闇へと変わろうとする夕方、フィーリ達ウェイトレスは帰路に着くことを許される。もう少し店の営業は続くのだが、女性は家庭を考えあまり長く働かせないほうがいいというキュレの判断から来るものらしい。フィーリは仲良くなった仕事仲間から教えてもらった。皆、どの人もいい人ばかりである。早速皆と打ち解けられたフィーリは勤務中も楽しく過ごすことが出来た。だが、ある事が気に掛かる。そうそれは。
一人だけ浮いてしまった存在。

「キュレちゃん?どうかしたぁー?」
昼間の話である先程まで向こうで接客していたはずのキュレは顔を真っ赤にしながら今にも泣き出しそうな不安定な表情を浮かべながら走ってきたのだった。幸いフィーリの元にお客はいない。問いかけに答える事無く、彼の背中に隠れる様は誰からかの視線を必死に避けようとしているようだった。
「何かあったの?」
「な、ななななんでもないですっ!!」
いや、明らかに何かがあっただろと言いたくなるほど首を横に振る。可愛いなぁーとフィーリは思う。そうー?とフィーリはにやりと笑って尋ねる。
「ロー君が気になる?」
「き・・ききききき気になりませんっ!!!おおおお男の人が苦手なだけですっ!!」
「・・声がビブラートしてるよ?」
フィーリが冷静に告げるとはっとしたように口を押さえて顔を真っ赤に染めた。思わずフィーリはくすりっと笑ってしまう。彼女は目の前にいるウェイトレス姿の人間がもし男だと知ったらどんな反応をするだろう。少しばかり、興味があった。けれどそれは今してはいけない事で、しなければいけないことは一つだ。微笑を満面の笑みへと変えフィーリは優しく肩を叩いた。
「悩み事、聞くよ?」
僕じゃ駄目かなぁ?と首を傾けると再びぶんぶんと否定する。上目遣い。少しためらいながら彼女は小さな声で呟いた。
「聞いて・・くれますか?」
「勿論っ♪」
何かあってからだと困るし、ね。フィーリが笑顔の裏でそう思っていたのは内緒である。

「俺が・・ですか」
場所は変わって厨房。あまりにも唐突過ぎる発言によって珍しくロジェは絶句していた。
「そうだ、出来るな。ロジェ=ミラ=クレセント」
大柄な店主は僅かに笑みを作り「期待している」と付け足した。
「オーナー!!何故我々を使ってくれないんですかっ!!」
「こんな新入りにやらせるよりも格段にいいものを作りますよ!!」
ロジェ以外の職人の非難の嵐。しかし、それをものともせず店主は言う。
「では、お前達の中にこんな芸当が出来るものがいるのか?」
机の上の『それ』が問題だった。今にも鳴きだしそうな小鳥。三段階のグラデーションで羽の陰影を現し、足元に咲く花は果実の皮で出来ている。ケーキの上にちょこんと乗っていたら食べるのをためらってしまいそうなチョコレート細工。それはロジェが余ったもので作った細工であった。暇を潰すために作っていたのをたまたま店主に見られていたらしい。職人達が圧され静まった中、彼は高らかに決定事項を述べた。
「いいな。誰がなんと言おうと今年のバレンタイン菓子はロジェに作ってもらう」

by vrougev | 2007-01-31 21:34 | キセツモノ