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葉守、柏手を叩きて   3

これ以上逃げ回るのは無理だ。敵は目の前に迫っている。
そう判断したロジェはフィーリを降ろし、剣を抜いた。再び鞘から解き放たれた刃は主の迷いも知らずただ美しく輝く。向かい合ったロジェと鎧は一歩も動かず。
緊迫した一時はまるで永久に続くかのように感じられた。
「うわ、凄い崖……元は地面があったのかな?それとも元からこうなのかな?」
緊迫した空気を壊すフィーリの発言にロジェは答えない。答えられるわけがない。
「ロー君は一体何をそんなに…警戒しているの?」
少しだけ間が開いた疑問。恐らく、言葉を選んだのだろう。何のために。
問われる意味が分からずにロジェは眉を潜めながら僅かに後ろを見やると其処には普段と変わらないフィーリがいる。その事実に心中とても安堵しているロジェがいた。
「僕には目の前に鎧があってそれが動いている、位にしか感じられないんだよね♪」
でもさ、と魔術師は続ける。晴れやかな笑顔は矢張りどちらともとれない。
「そんなのいつもじゃないかぁ♪」
拍子抜けしそうな程に弾んだ明るい声でフィーリは日常を突きつけた。
確かに、と言う言葉しか浮かばないと同時、引っかかりを覚える。
「だが」
だが、何故此処までこの目の前の相手から逃げようと自分は考えたのだ。フィーリが隠した言葉を借りるならばその感情は間違いなく「怯え」である。一手交わしただけで力量は測れると言うがそんなのではない。存在無き何かをロジェは恐れていたのだ。
では一体何を、どうして。
自らの思考理解に苦しむロジェにフィーリが苦笑を漏らした。
「仕方ないねぇ、ロー君は、さ♪」
しゃがんで崖の深さを確かめていたフィーリは立ち上がり、ロジェの腕を押しのけ前に出る。先には鎧。止めようと声を上げようとしたロジェはフィーリの表情を見て口を閉ざす。その表情は世界に愛された魔術師のものだったから。鎧が動き、襲ってくる気配はない。左手でくるくると弄びながら、まるで旧友に話しかけるかのように「やぁ」とフィーリは手を振った。
「ねぇ、君の目的は何?」
唐突な質問だった。過程を全て省いた単刀直入な質問に鎧は動きを見せない。
「僕には分からないけど、ロー君が反応したって事は元が人なのかな。でも、今感じる力はどちらかと言えば魔族寄りだよね」
だんまりを続ける鎧に対し、フィーリは一人でべらべらとしゃべり続ける。
「ロー君を間接的だけれども操って此処まで逃がしたんだもんねぇ」
いや、答える術がないのかもしれない。
「此処に来てから全然動かないね。どうしたの?」
相手を案ずるかのように声をかけるフィーリだが、その表情は変わらない。口元だけを怪しいまでに微笑ませて。一体何を企んでいるのか…。
じゃあこういう考えはどうだろう、
「もしかして…此処が本当は来てはいけない場所、なのかなーなんて…」
ぴくり、と。この場に置いて微動だにしなかった鎧が肩を動かした。
「見た!?ロー君♪どうやら図星みたいだね♪」
ロジェに向かってピースサインを向けるはしゃいだフィーリに鎧は矛を振るう。
「フィーリ!」
あの馬鹿が。
間に入ろうとしたロジェは突如突き出されたフィーリの杖に阻まれた。明らかに攻撃しようと向けられた一撃をロジェは反射神経だけで仰け反り避ける。だが、それがいけなかった。元々頑丈な地層ではなかったのかもしれない。ロジェの緩急な速度を伝え切れなかった地面はひび割れ、崩れた。身体が滑り宙に浮く。
「じゃあ、僕も導かれるままに行こう」
フィーリもまたロジェの後を追うように崖へと自ら身を躍らせる。ふわり、と浮かぶ裾が、髪が、杖が、五月特有の朗らかな光を反射しきらめく。光は闇染まる崖の中へ。
「馬鹿か!お前は!!」
落ち行く中、無駄だと分かっていてもロジェは手を伸ばし虚空を掴みながら叫んだ。
ごおうと言う風切り音で耳が痛い。このまま落ちたら間違いなく死ぬだろう。
いや、その前に空中分解か。どちらにしろ変わりはないのだが。
「馬鹿じゃないよ♪大丈夫っ♪」
上から降り注ぐ声は実に楽しげである。一体誰のせいでこんなことになったんだ、と怒鳴りたい続けたい衝動を堪えロジェはフィーリの伸ばす右腕を掴んだ。
魔術師の左手ではずっと杖が回っている。くるくる、くるくる。
「さぁ!この僕が召喚するよ!!魂持ちし皐月の大空を翔る黒鯉!!」
召喚式はない。だが、フィーリには確信があった。名を呼べば答えてくれるだろう。紡がれたその名は崖に木霊し、崖を越え、天まで響いた。
「カープ!!」

by vrougev | 2008-05-17 23:56 | キセツモノ