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【無きお題サイトより】003    ねぇ、いつまで逃げてんの?

「バッカみたい。ここからは逃げられないのにね」
月夜の晩。彼女は手に手裏剣を持って立っていた。標的は唯一つ。
そう、俺だ。自分以外にいなかった。
弓士の僕に逃げ場は無かった。背には濁流。背水の陣とはまさにこの事だ。
しかし俺はそこから策を立てようなど考えない。ましてや、勝利を収めようとも思わない。
もう全てが遅いのである。だから俺は刻むことにした。
「3・・2・・・1・・・・」
ぴー
鋭いホイッスルの音がして、先ほどまで完全に夜だった空間が一瞬にして屋内へと変わる。
濁流の川も壁へと元の姿に戻った。ちっと小さな舌打ち。
「ちぇ、時間切れか」
彼女はつまらなそうに手裏剣をホルダーにしまった。俺も構えていた弓矢をそっと下ろす。
実践ではない。仮想現実世界上でのトレーニングである。
そのまま矢をしまい、演習室から出た控え室の椅子に腰掛ける。横の部屋の彼らの演習はまだ続いているようで壁一枚に押し殺された振動と衝撃、そして音が控え室に響き渡っている。激しい戦いだ。
相変わらず彼女はいい腕をしていた。久しぶりに帰ってきた俺は負けそうになっていたのだから。
彼女は受付へ寄った後、俺の隣に座った。どさりと音を立てて座る。
「はい、ポーション」
投げられた瓶をぱしりと受け取り、ごくりと飲んだ。少しどろりとした赤い液体は傷口を早く治す効果がある。白や緑のほうが効果は強かった気もするが、文句は言っていられない。
「今、何処にいるの?」
「今は三種族が共存する世界だな」
俺は答えた。その世界での俺は悪魔である。矢張り弓を持ち、放っている。もう宿命である職業だ。
「此処には戻ってこないんだ?」
「そうだな、暫くは戻ってこない」
もうだいぶくたびれた様子の赤い弓を擦りながら言う。こいつにも大分お世話になった。
そしてこの衣装。初めはあまり好きではなかったが着慣れると心地よかった。随分と擦り切れている。
「ねぇ」
真っ直ぐな、暗殺者ではない彼女の目を見るのも久しぶりだった。
「現実には戻ってこないの?」

僕は我に返る。画面の中では強がりな僕がぴこぴこと点滅していた。
そして、彼女の言葉が文字となって浮かび上がる。見たくない。幼馴染の彼女はこう、僕に宛てた。
『いつまで、家に閉じこもっているの?』

by vrougev | 2006-06-21 20:23 | 小話